第九の里 坂東
ドイツ公園
あっという間に12月。今年も終わりですね。年末と言えば、そう、ベートーヴェンの「第九」を思い浮かべる方も多いのでは。そんな、「第九」がアジアで初めて演奏された場所、坂東に行ってまいりました。
坂東は渦潮で有名な鳴門市にあります。そこにはかつてドイツ人俘虜収容所がありました。
そうです、「第九」を演奏したのはドイツ人俘虜だったのです。第一次世界大戦時、青島にいたドイツ兵が日本に俘虜(捕虜)として連れてこられました。収容所と言えば、劣悪な環境で過酷な労働を強いるイメージが浮かびますが、坂東俘虜収容所はそうではなかったのです。

かつての収容所跡は今は公園になっています。その名もドイツ公園です。冷静に考えてみれば、敵国の名前を公園につけるなんて、変ですが、名前につけるぐらいだから良い印象があったということです。
今回の坂東旅行の前に、坂東俘虜収容所について調べたり、ここを舞台にした「バルトの楽園」という松平健主演の映画を見たりしました。やはり予習して行くと、現地を訪れた際、感情が湧いてきて、印象の深さが違いますね。
この日は薄曇りだったので、森深いドイツのイメージはこんな感じかな、と思いながら散策しました。

鳴門市ドイツ館


鳴門市ドイツ館には坂東俘虜収容所の資料の展示のほか、ドイツ人俘虜達の生活が紹介されています。
音楽活動はもちろん盛んでしたが、月に一度の芝居の上演があったり、それらのための美しいパンフレットを作ったり、坂東の人々と交流したり、畜産や製菓、製パン技術を教えたり、とても文化的な生活をおくっていたように感じました。
この俘虜収容所に入ってから楽器演奏を習得した人も多かったのではないかと思います。
囚われの身で、制限のある生活ではあったけれど、規律があり、芸術に触れる機会に恵まれ、自分の技術を生かすことができるのは大きな慰め以上のものがあったと思います(同行のお客様も「私の今の生活よりいい」なんておっしゃっていました!!)。
坂東俘虜収容所は俘虜に甘すぎる、と陸軍省から圧力をかけられた時、所長の松江豊寿が、「自分が預かっているのは収容所であって、刑務所ではない」と言ったそうです。
この松江豊寿所長の存在なくして、坂東俘虜収容所のことは語れません。松江所長はドイツ俘虜を「祖国のために戦ったのだから」と言って侮辱することを許しませんでした。
松江の出身は会津で、敗者の気持ちが痛いほどわかったいたのだろうと言われています。会津藩は最後の最後まで幕府のために戦いましたが、武運つたなく、新政府になってからは賊軍の汚名を着せられ、苦汁をなめさせられました。彼の父親も戊辰戦争を戦っています。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」というのは現実には確かにそうなのですが、この言葉を聞くと嫌な気持ちになるのは私だけではないと思います。松江豊寿所長はドイツ人俘虜たちに対して「あなた方は決して賊軍ではない。祖国のために戦かったのだ」と言いたかったのではないでしょうか。
だからこそ、坂東俘虜収容所ではドイツ人俘虜によってベートーベンの第九が演奏され、現代にいたる、彼らの子孫と坂東の人々との交流も続いているのでしょう。この紛れのない事実は、私たちの世界に、何か可能性を感じさせてくれます。
第九の歓喜の歌の一節、「すべての人は兄弟になる」、これを体現したところが坂東俘虜収容所だったのではないでしょうか。